そんぽ24のCMに夢中です。
どうも、amejitenでございまし。
この間初めて見たのですが
あのコアラの動きが
鼻が携帯電話になってしまうあたりが
たまりません。
釘付けです。
ということで
どんな不祥事があったとしても
NHKっ子なわけで
NHKスペシャルやハイビジョン特集などの
ドキュメンタリーをよく見るのですが
この間再放送で
中国の出稼ぎについての番組を見ました。
ハイビジョン特集だったと思います。
場所は天津でした。
ame家では祖父が若い頃
農家をしていましたから
出稼ぎの経験があったそうです。
そのときの写真がたくさん残っています。
何の仕事をしていたか
さっぱりわからないのですが
同じ出稼ぎの方でしょうか
複数の男性と腕を組んで笑っている姿や
箱に足を上げて
石原裕次郎ばりのポーズを取っているなど
楽しそうな写真ばかり。
まぁわざわざ寂しい姿を写真に納めたりしないでしょうけど
それにしても楽しそうでした。
実際祖父から聞いた中で
私が覚えているのは
いやぁ大変だったんだよー
という感じで
武勇伝に近かったと思います。
もちろん苦労もあったと思いますし
家族にも会えない寂しさもあったでしょう。
帰郷したときなどは
吉幾三さんの『津軽平野』の歌詞の如く
感動したのかもしれません。
番組の中で印象に残っているのは
中でも父親が出稼ぎに行っている家の
高校生の娘さんの言葉が忘れられません。
『勉強だけが頼りなんです』
クラスで上位の成績をおさめている娘さん。
でもお金がなく
学費を滞納してしまっている状態。
勉強してよい成績をおさめることが
出世できる唯一の道だと
語っていました。
私が幼いとき
祖父や祖母は
父や父の弟である叔父もよく勉強したと
教えてくれました。
そのおかげで
私や兄や叔父の家族も
何不自由ない少年少女時代を過ごせたわけです。
今だって
勉強して損することはないと思いますけどね。
ただ私が見た中国の出稼ぎは
とても辛いものでした。
家にお金がないから
やっと言葉をしゃべれるようになったくらいの赤ちゃんを残し
出稼ぎに行かなければならなくなった
若い奥さん。
赤ちゃんは何かを察して
出稼ぎに出る前の日からぐずったと言います。
息子さんの稼ぎが少ないことを気にして
血圧が220もあるのに
町の病院へ行くことを拒む年老いたお母さん。
220もあったら
横になっていてもめまいやらがあるでしょうに。
祖父が出稼ぎに行っていて頃
同じようなことが日本でたくさんあったんでしょうかね。
あったんでしょうね。
今でもなくはないんでしょうけど。
この間管理職の方と残業について話していて
昔々は
残業代がなんだなんて思いもしなかったし
誰も言い出さなかった、
休日出勤だって
必要があれば迷うこともなかった
とおっしゃっていて
今では経費の問題で残業するなと言われる時代なわけで
サービス残業となれば問題になり
就業時間に仕事をめいっぱい詰め込むと
社員の能力を上げるための教育や
チームワークを生むような雑談さえ
できない状態だと苦慮されているようでした。
仕事を選ぶという権利が
ほとんど自由であることは
時代が進んで良かったと思っているけれど
企業人であるということへの自覚は
年々薄れてきていると。
私もそれなりに
色んな仕事を経験し
色んな仕事についている人に出会い
30を前にして
やっぱりコツコツと
仕事を一生懸命頑張っている人は
すごく尊敬しますし
かっこいいなぁと心から思えるようになりました。
それは単純に頑張っている姿にであって
その人にその仕事が合っているからではないのかもしれません。
祖父が出稼ぎに行っていた時代や
今の中国で出稼ぎ労働に従事している人は
この仕事、自分に合ってるなーとか
この仕事合わないんだよなーとか
ああいう業種に就きたいんだよなーとかは
言っていられなかったんでしょうね。
平等って、個性って
なんなんだろうなぁ
と考えてしまう5月末日でした。