大きな地震がきたって♪

気づけばもぉ9月30日。
去年の今頃は就活でヒーヒー言ってましたねぇ。
んで十勝沖地震があって
これまたヒーヒー言わせられたっけ。
地震があったのは明け方、確か5時頃。
その日、札幌で合説があったため
私は一人で夜行の列車に乗ってた。
んでスヤスヤいってたら
にわかに周りの人がヤンヤヤンヤ言ってる声で目覚め
それと同時に遊園地の乗り物のよぉな揺れを感じた。
初めは全然わけわかんなくて
ボーとしてたら
車掌から
地震がありましたので一時停止しまう」
というアナウンスがあった。
じ、地震ですか。
しかし、ここはどこですかねぇ?
ん?おいわけ?
ふーん。
その後電車は全く動く気配がない。
あれよあれよと時間は過ぎ
停車当時、真っ暗だった空が明るくなってきてしまった。
ちょっと電車を降り乗務員の休憩室とやらで
テレビを見たら
と、と、苫小牧が燃えてる!?
札幌の地下鉄も動いてないし
あーあーあー
同じ路線の下りの夜行が脱線・・・
どぉなるんだ。
ここから合説がある札幌の中心地まで約一時間。
あぁ間に合わないかも。
その後私が乗っていた電車は
運行の目途がたたないとゆーことになり、
って被害から言ったら当然なんだけど、
自力で札幌に向かうことになった。
地震が起きてから約3時間。
電車が停車してしまった駅がある町は
まさに農村部という感じで
なんもないんですよ、はい。
バスも来るかわからないし
またタクシーもホントいないんですね、はい。
ほんで夜行列車の乗客もそんなに多くないので
乗客の中で変な連帯感が生まれ
どぉしましょおねぇ〜
と相談など始めた。
って他人事みたいだけど、私もしてましたね。
知らないお姉ちゃんに
「どこに行くんですかぁ?」
ってね。
だってもぉタクシーしか交通手段がなくて
札幌までは1万3千円くらいするって言うし
札幌行きの電車だって言っても
途中に新千歳もあるし
新札幌もあるから
タクシーであいのりって言っても行き先が違ったらもったいない。
それに急ぎか急ぎぢゃないかでも違うし。
てか私急ぎだし。
あぁ時間がぁぁぁ
ここはグダグダやってる場合ぢゃねぇ。
他の人なんてかまってらんねぇ。
よって
「私、急ぎで札幌駅まで行くんですけど!一緒に行かれる方!?」
と、叫んでみました。
笑顔でね、確か、確か。
ほんで病院へ行くおぢさんと
大学教授のおぢさんと
カメラマンだかのお姉さんの4人であいのり。
紆余曲折を経て札幌に着いたのが9時くらい。
そこからスーツに着替えてなんとか合説へ間に合いました。
1万3千を4で割って
端数を教授が出してくれて1人3千円。
ありがちょー教授。
しかし苦難はここでまだまだ続くんですねぇ。
昼に札幌近郊に住む友達とお昼を約束していて
その人が時間通りに来てくれたので
あー地震大した事なかったんだぁー
って、私の馬鹿。
携帯には『大丈夫?』メールの嵐。
テレビでスゴイことになってたのね。
帰るはずの特急も復興の目途立たず。
帰れないよぉ〜と友達に泣きついて
変える手段を探したら以外にも長距離バスは動いていて
札幌で友達宅に1泊し
翌日家路に着く事が出来た。
途中倒れた電柱やら土砂崩れやらを横目に
家に着いたのは夜中だったなぁ。
もぉ部屋ん中グチャグチャ。
テレビは倒れてるしCD・コップは割れてるし
姿見はヌリカベのよぉに倒れてるし
棚という棚からものがベロのよぉに出てるし
冷蔵庫なんかも動いてるし
あれね、片付けられない女とかの気持ちがちょっとわかったさ。
もぉ部屋ん中台風が来たみたいな状態のときって
どこから手ぇつけたらいいかわっかんないんだね。
部屋見た瞬間に
ふー
ってため息ついてさ
座る場所作ってさ
コンビニから買ってきたゴハンパクパクしてさ
タバコ吸ってさ・・・ってしばらく動けなかったもん。
頑張れ、片付けられない女タチ!
でも
あの地震があってからも
何度も震度3以下の地震があったけど
もぉ慣れちゃってさ
グラっと来ると
「あ、ガス」
みたいにスゴイ冷静になっちゃってさ。
それから1年たったけど
無意識に高いところにモノは置かないね。
まぁ私が住んでいた所は大地震が多くて
同じ規模の地震が10年周期で来るっちゅー
非常に恐ろしいところなので
ほとんどの人が慣れまくりなんですけどね。
アノ街を題材にした唄は結構あるけど
それよりチャラの『大きな地震がきたって』が
街の唄になってもいいんぢゃないかねぇ。
うしゃしゃしゃしゃ。