盆地ーず

今日久しぶりにロッキンオンを読んだ。
もちろん立ち読みですけど。
なにか、違和感を感じた。
定期購読を止めて約4年。
趣味が邦楽に傾いたこともあるけど
別に買わなくてもいっか
って思ったの、その時。
今日読んで
電グルの連載は相変わらず面白かったし
インタビューも普通でした。
でもレビューがね。
前はあれの酔ってるよぉな書き方が好きで読んでたんだけど。
音楽が好きだっちゅーのは今も変わらない。
ただあのレビューの書き方は
今違和感以外何者でもなかった。
なんだろぉね。
そんなに頑張らなくても〜
って感じかなぁ。
音楽は日常であって聞いてて気持ちいいもので
時に感動させてくれたり
不快にさせられたりするのもで
何食おうかなぁ、くらい身近なものだと思うの、私は。
でもあのレビューは非日常というか
書き手が物書きであることを誇示しすぎてるよぉで
わざとらしく思えてしょーがなかった。
中学生の頃はロッキンオンのライターになりたいとか
本気で思ってたんですけどね。
でもあれね。
松村さんの文章っていいねぇ。
押し付けがましいところがない。
それに
「このおっさん音楽馬鹿(好き)なんだぁ。」
って思えて、嬉しいんだよねぇ。
ジャパンが変わったちゅーのは何年か前に
友人の間で話題になったけど
やってることはなんも変わってないし
特に違和感はなかった。
変わったのは私らしい。
これは成長でしょーか?
−−−−−−−−
明日からまた仕事です。
日曜日は苦手です。
月曜日いやなんぢゃないの。
日曜日がいやなの。
なんでみんなして休みなんだろぉねぇ。
しかも人がいるところに出かけると
休みに休めてないよぉな人を目にすることも多くて
「ゆっくりしよぉぜぇ〜」
って、心配になる。
いや、大きなお世話なんだろぉけどさ。
肩身が狭いとゆーか、息苦しいとゆーか。
平日休みだと交通量も街にいる人間も少なくて
開放された気分になるんだけどねぇ。
開放されたっていえば
私は盆地生まれ盆地育ちなんで
四方を山に囲まれて育った。
そして大学5年間を近くに山がない
海沿いの街で暮らした。
決して都会ではないけど。
その際限なく空が続き
地平線に太陽が昇り、沈む風景は
なんちゅーか、こぉ、思い出しても涙が出るほど
心を震わせてくれた。
別にセンチメンタルなことを思い出してしまうわけではなく
ただ単に
「あぁ、夕日が沈むなぁ」
と見ているだけ。
余計なことが全て消える。
心が洗われる、って感じでしょうか。
最近海際に行ったけど
やっぱりあの際限ない空を見て
心の中が換気したちゅーか
風がね、通り抜けたちゅー感じ。
一緒に行った友人と
「やっぱり海際の人間が大それたことを考え出すのが良く分かるねぇ」
とか言ったりして。
荒いんだけど分かりやすいからさ、海際の方々って。
まぁ北海道は全体的に開放的なイメージなんですけどね。
大学に入ってから実家に帰ってきて
この四方の山をみるたび
息苦しくなって
「帰って・・・これねぇな」
と確信してたんですけどね。
それでも帰ってきたんですけどね。
いや、実家が嫌いなわけではないんだよ。
虫の声、蛙の声、立っているだけで汗が出てしまう夏の暑さ、
大雪の日にコタツに入って外を見る優越感、
冬の空気が澄んだ夜に月明かりに照らされて浮かび上がる山々、
気が抜けてしまうよぉな方言のイントネーション。
上げていったらきりがないくらい好きなものもある。
ただミニチュアの集落で暮らしているよぉな
息苦しさに襲われる。
まず、今度就く仕事は平日休みのにしたいものだ。