両刀使いの正当性

まずい。
まずいまずい。
また店長と揉めそぉだ。
バイトを辞める日について行き違いがあったらしく
業務の延長を言い渡された。
はぁ〜?
知らんがな。
その日に辞めないと私は内定先の仕事に行けない。
おいおいおいおい
そんなことは聞いていなんだよ、店長さんよぉ。
いやもぉヤダ。
このまんま知らんプリンで逃げます。
もぉいいでしょ?
いい加減にしてくれ。
それでも
業務の延長を要求されたら
その日まで全部無断欠勤でもいいよ。
知らないよ、私。
「話しましょう」
って言って話かけてこないから
問題解決したのかと思ってたよ。
もぉ〜・・・・・
ばぁーかてんちょーーーーーー!
絶交だぁーーーーー!!!
−−−−−−−−
この間バイトの先輩に説教を喰らった。
まぁいつものことなのですがね。
いや、仲良しではあるんだけどね(向こうは)。
あることを欠いていたの、私。
んで
「これ、社会の常識だから」
と、締めくくられた。
私はその常識だとか、社会のルールだとか
客観性を話の柱に持ってくる人が嫌いデス。
いや、わかるよ。
だってそーゆーもんがなければ
こんな大勢で密集してなんて生活できない。
その生活を円滑にするために
常識だとか社会のルールは不可欠。
でもね
何か言いたいことがあるとき
それの説得力を強めるために常識だとか
社会のルールとかっちゅー言葉を使うのはどぉだろぉ?
以前部活の先輩に
「そんなの常識だよ!」
と怒られた事があった。
もぉ耐えられなくて耐えられなくて、奴が
「ごめんさない」
を言うまでやりあった。
私は自己絶対主義的なところがあるので
一から教えてもらわないとわからんのだよ。
その曖昧なルールの存在理由をね。
そこから始めないと
会話になんてならない。
社会云々の前の人間同士の会話なのに。
非常に寂しいどえす。
あと何か相談したり感想を求めた時
「客観的に言うと〜」
とか言う人もヤ。
客観的意見を聞きたいなら初めからアンタに聞かんがな。
アンタの意見を聞きたいから
相談したんだよ。
取り越し苦労すんなよ。
寿命短くしたって!後に攻められても責任取れんぞ。
それとも単純に自分の意見がないのかね。
それもまた寂しいぢゃないのさ。
私は結構
「あ、なんでもいいです」
って答えます。
でもね、自分の意見って万物になくてもいいと思うんです。
無理やり意見作っても
そりゃ嘘になる。
小学生の時ディベートをよくやった。
私はこれが大好きだった。
だって、何でも自分の言いたいことが言えたのね。
2つの内どちらか選べちゅー議題でも
「どっちもいいと思います」
「どっちもダメです」
って素直に言っても受け入れられた。
なんと居心地のいい空間だったか。
現代の風潮として
AとBがあるとき
どちらかを自分の意見として選ばなければならない
そぉゆー感じを受ける。
それを目の当たりにすると
すごく狭い空間に閉じ込められている気がする。
理系出身の人が優遇されているのも
その原因の一つなのだろぉかね。
どぉしてもバッリバリ文系人間には
ちょっと生き難いかもなぁ。
いいぢゃないですか、どっちも、でも。
それが弱腰に見えたって。
それを常識だとか客観性って言う
曖昧な言い訳で覆って欲しくない。
私は胸張っていいます。
「どっちでも(きりっ)」
−−−−−−−−
箸の持ち方、って気にする方
どのくらいいらっしゃるんでしょお?
私すごく気にするんですけど。
兄と私は結構厳しくしつけられた。
座り方、ご飯の食べ方。
テレビを見ながら食べ物を食べるなんて
言語道断。
その他のながら〜も禁止。
見るテレビも制限されていて
7時からはNHKのニュース。
よってその時間帯のアニメは全く見れなかったし
当時流行っていたよぉなバラエティ、
ひょうきん族やドリフといったものも
見せてもらえなかった。
宿題も厳しくチェックされたしね。
箸の持ち方もかなり厳しく言われた。
親指がちょっと出ているだけで
手を叩かれた。
高校くらいからはかなり放任でしたけどね。
今になると箸持ちが綺麗なことはありがたいけど。
箸持ちの悪い人って結構いるんだぁって
ある時気づいたわけ。
カルチャーショックでしたね、これは。
「え?親に怒られた事ないの?」
って聞きたくなるくらい。
箸持ちって今の社会ではそんなに重要ぢゃないのかしら?
箸を正しく持つことさえ
個人の自由なんだろぉか?