山形思い出話

シネマ旭が
今度は本当になくなるようです。
どぉもamejitenでございます。
県外の方はなんだそれ、だと思いますが
山形市内にある映画館です。
邦画のみ上映していて
あんまり混んでいるところも見たことはありませんし
私自身も数回行っただけだと思います。
初めて行ったときは
雨が降っていて
室内もコンクリートの床だったので
寒いなぁと程度でしたし
見た映画も
「日本の実力、かぁ」
とがっかりするものが多かった気がします。
まぁ全部10年以上も前の話ですが。
そんなんでも
なぜか気になっていて
高校から大学にかけて
ぼんやり就職先の話をするときは


「シネマ旭のもぎりをする人になりたい」


と言っていたほど、気になっていました。
そんな10代の若い頃から
勤務中どれだけ他の事を考えられるか?
という一点で仕事を選んでいたと思うと
シネマ旭でもぎりやってたオネイサン達に失礼だし(軽笑
過去の自分の気楽さに笑うしかない、と思いますがははは。
たぶん中学生から高校前半にかけて
一生分の映画を見たからか
今は映画にほとんど興味がないため
シネマ旭に行くこともなくなりましたが
もぎりになりたいと言ったことだけは覚えています。
市内の映画館一覧を見ていて
なんか足りないと思って
むむむーっと細胞をフル稼働させたところ
ヌーベルという映画館もありましたね。
スカラ座も一覧にないし
山形の街を歩くのも
いつも酔っ払っての上なので
見て気付く点が少ないわけです。
まぁそれでも
あーあれ新しく出来たねーより
あーあれなくなったの?
もう営業してないの?
と言う割合の方が多い気がします。
ケンタとか洋服屋さんとか。
山形はど田舎ですが
ど田舎なりに町並みも変化しています。
車を運転するようになってからは
西バイパス側が盛り上がってきたり
江俣の交差点がキレイになったり
近道の路地が広くなったり諸々もあり
良くなった点が多いですが
昔からの思い出の場所は消える一方です。
それでも新しい思い出ができるわけです。
新しい思い出も大切なので
古い思い出に
それほど執着していたか?
というと疑問なので
消えないで欲しいというのは自分勝手なのかもしれませんがね。
西口がキレイになったときも
同じような気持ちがしていました。
一人でブラブラして
当時は円高だったので
輸入版を数枚買って
まだ自転車で溢れていた駅西口で
父が迎えに来るのを
ワクワクして待っていました。
別に父に会いたいわけではなく
家まで待てないため
車内で買ったばかりのCDを聞くからです。
今は輸入版を手にすることもないのでわかりませんが
当時の輸入版は日本版・邦楽と違い
とても開けにくく
何度車内で父に開けてもらったことか。
今は自分で運転できるし
円高でもないし
同じ条件での高揚感は二度と味わえないでしょう。
味わうことがないからと言って
その場所が、そのチャンスまでもなくなるのは寂しくもありました。
このままいって
七日町のAZがなくなって
あの独特の臭いと毎回同じ音楽が聞けなくなることも
寂しいですし
ストーンローゼズの解散を知った
八文字屋の
その急な階段をスカートを気にしながら昇ったことや
人目を気にしながら作品にする写真を撮った場所がなくなることも
寂しく思います。
時代は変化していきますし
それ以前に
建物の老朽化はさけられないものですし
いつかなくなる日は来るのでしょうけど。
きっとこうやって
目で確かめられる距離にいることは
ある種幸せなのかもなぁ、とも思います。
大学時代過ごした北海道の街で
思い出深いところが変わっていてもわかりませんが
行く機会があって、
それを目にしたとき
きっとものすごく寂しいかもしれません。
ただ自分の思い出の映像が存在せず
新しいものになじむ機会も
その新しい風景に思いを込める機会も与えられないわけですからね。
そういう意味では
生まれた地で暮らしていくことは
悪くはない気がします。


シネマ旭に行った頃の音楽。
どーんりみはーーーーーーぃ

The Bends

The Bends

めいべぇぇぇ、あがなひゅわななーーーぅ
Definitely Maybe

Definitely Maybe

こねっくしゅんずめい、はっ!
ELASTICA

ELASTICA

てんすとぉりーらーぶそーんーーー
Second Coming

Second Coming

たんたんたんたんたんたん(エコー
ボーン・スリッピー

ボーン・スリッピー

あんごいんだぁ〜ん
My Life

My Life

で、でで、でででで、で、で、でーで(オープニング
グルーヴ・セオリー

グルーヴ・セオリー

リリィ。。。(泣
High Time

High Time

すいません。
一人で盛り上がってしまいました。