歪んだ慰め=教育のミス

ねえさん、北海道に行きたいです。
あまりの行きたさに
運転しながら泣いてしまいました。
泣くなよ。
だって行きたいんだもん。
しょーがない奴だなぁ。
ってホント行きたい、北海道。
最近めっきり北海道に行くことしか頭にないのは
軽く、ホームシックなんだろぉかねぇ。
なにせ第二の故郷ですから。
1回行ったら目が覚めるよぉな気がする。
誰か、北海道までの交通費運んで来て下さい
ってお参りでもしよぉかしら(他力本願)
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世間って厳しいですね
なんて、言ってみたりする今日この頃。
よく自分が不幸だって言う時、決まって
「でも別に食うに困ってるわけでも、家族が病気なわけでもないし」
と自分自身を慰める我が母。
いやいや
相対的な幸せなんて幸せぢゃないぢゃない。
小学生のときに世界の不幸な人々のビデオや本を見せられ
その感想文で
「ぼくは日本で生まれて幸せです」
って書くみたいな、言わせられた幸せ。
はっ!馬鹿らしい。
人の不幸をネタに自分を慰めるなんて
趣味の悪いことをするくらいなら
ずっとへこんでいた方がましだよ。
そんな歪んだマクロな考えはいらんのぢゃい。
本当の幸せは日常に落ちてる、っていうことを
摩り替えたアホな慰めはやめよぉや。
ふらふらフリーターな私だって
悩みもある。
ストレスもある。
身体は調子悪いし、うまくいかないばかりだ。
やなこと思い出して
楽しかったこと思い出して
泣いてばかりだ。
それはそれでいい。
私の力が及ばない所で私を操っている何かの気が済むまで
やなことでいっぱいになればいい。
それよりイイことして笑おうや。
好きなテレビで笑おうや。
ナンシー関の本で笑ったり
犬と遊んだりしよぉや。
その内何かに気づく。
戦って、争って手に入れたい人は戦えばいい。
これは戦いぢゃない。
手に入れたいものはない。
だから今は戦いぢゃない。
じっとしてよぉ。
そんな気がした、今日土曜日。
−−−−−−−−
私は電話が嫌いだ。
電話と言うか、あの着信音が嫌い。
家の電話もバイト先の電話も、もちろん自分のケータイも。
距離のある人間と話せるなんて
近代科学のスバラシサではあるのかもしれんが
考えてみれば気味が悪い。
なんで距離があるのに声が聞こえるんだ。
そんな人間からの呼び出し音。
あれが奇妙な声に聞こえるのだよ。
あぁ気味が悪い。
メールはホント単なる「着信」と言う意味で
気味悪さはいささかない。
しかし電話は・・・
よって私は電話に出るのが苦手である。
自分から掛けることももちろんあるが
必要最小限である。
なんであんなもん作ったのかね、人間は。
あぁ電話のない企業で働きたい(永遠に無職決定)
しかしそれによって
ウチの両親みたいに
めったに顔を見れない孫の声を聞けるという
幸せもあるのだから
廃止にするのは無理のよぉだね(当然だ)