見返りハクビシン

ある木曜日更新の西洋占星術
『あなたは同じ状況を繰り返しているため
「楽な人生」どんな感じか忘れてしまったようです』
とあった。
その占星術のHPは
こちらに考えさせてくれる
すてきなHPなのでちょっと気になっている。
楽な人生、ですか。
思えばここ1年くらい
苦労の連続だったなぁ。
いや、楽しいことや嬉しいことはもちろんなかったわけではない。
マリノスが優勝したり
サッカーでアテネ五輪に行けたり。
いやいやもっと日常的なことでも
たくさんあったけど
(恐れ多くも)私の年表なんかを作ったら
間違いなく苦労の時代と
表記されるだろう時期であった。
何よりも
楽で楽しく気持ちのイイことを愛する私、
まぁただの面倒臭がりっつー話もあるが、
その私にとって
そぉ指摘されたことは
かなりショックだった。
だって
自分のしたいよぉにしてないってことだからね。
全然自分が成ってない。
あぁ。
と、狼狽に近い状態で
木曜日から過ごしていた。
な・の・で
木曜日以後に見た夢を徹底分析してみた。
そしたら、さすが人間内国宝・夢。
面白いキーワードをくれた。
それは「見返り」という言葉。
ここ1年就活にしても恋愛にしても
自分の力だけでは上手くいきっこないことばかりに力を注ぎ
就活に関しては
留年のほかにも不利なものを抱え
恋愛でも相手に彼女がいるという不幸な状況で
もぉなんだかなぁ〜(阿快)
だけでは済まなくて。
結果を得るためには
相手の承認が不可欠で
頑張ったからって点数が上がるものでもなかったし。
だから私は相手からの見返りを受けるため
見えない努力をする必要下に置かれていたのだ。
今では内定も貰い
その男とも悩んでいた頃
お告げのよぉなものを突然感じ
別れている。
てことは見返りを期待するような状況からも脱している。
しかし
その見返り感覚は1年余りと言う短い期間で
骨の髄まで浸透し
多岐に渡って無意識に
見返りを求める精神状態を作り上げてしまったのかもしれない。
見返りを求めると言うことはすなわち
相手への期待度が高いと言うこと。
それが行き過ぎれば
相手(他者)に依存して
相手の顔色を伺うことを常とすることだと思うのさ。
あ〜ダルイ。
幸せとは自己満足である
という自分勝手理論は
もぉ完璧に崩壊してしまっているのかもしれない。
世界中の人がもっと自己満足に徹しれば
戦争なんてなくなると思ってたんだけどさ。
おーべりーさっど。
プラネタリウムリエーターの大平さんによれば
「幸せとは成長率である」
らしい。
それはそぉだ。
だからこそ経済大国になった日本が
今でも経済成長率を重視して
国民もそれに一喜一憂する。
しかしそれは外から見た幸せではないだろうぉか?
もっと自分勝手になって
周りの期待や外聞を気にせず
淡々と自分の満足を求める方が
一個人として幸せになれるのではないだろぉか?
あ〜でもね
見返りを求めて他者に依存し他者に干渉されながら行動することと
見返りを求めず自分だけで行動することの
どちらが楽か?
ちゅー疑問もある。
他人にゃ頼らにゃ生きていけん。
見返りは「する」ものと思えば
他人に干渉されるくらいなら
私は後者の方が楽かもなぁ。

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高校生の時のある女性教諭の話を思い出した。
彼女が出産し授業に復帰したとき
ある友達が彼女に質問した。
「先生、なんで子供つくろぉと思ったのぉ?」
ほしたら彼女は
「ん〜、私のエゴかな」
当時はそれがよく理解できた。
子供を作るなんて
エゴ以外ない、って私も思っていたし
子供は親を選べないとも思っていた。
しかし今ではそぉとも言い切れない。
子供が親を選ぶ、と言う事実もあるのだ。
子供が3歳くらいまでは
生まれる以前の記憶がある子もいる。
その記憶の中に
親を選ぶという場面の記憶もあるらしい。
すごくステキな話ぢゃ〜ないですか。
私の兄は生まれつき片方の目が0.01以下で
また身体も弱く
20歳そこそこで
脳腫瘍が見つかった。
母は兄の体のことを自分の責任だと思い込んでいる。
そんな人たちに、またあの先生に
この話を知ってもらいたいな、と本気で思った。
やっぱり人生は、世の中は
周りまわっているのだねぇ〜。
それにアメリカの聖歌(?)に
「僕がこの世を去るとき
一人の子供が生まれる
この世が続くように」
という歌がある。
そぉだねぇ。
この世はくるくる回ってんです。
バターになってもいいぢゃねぇか。
できるだけ上手い人間になりたいものだよ(意味不明)