もしずーっと続けきた仕事を辞めて
何を『したい』か。
我が家の団塊の世代と語り合いました。
退職金で4人家族でも広すぎる家に
また増築し
二世帯住居にして
祖母と母を離す案他
出ず。
彼らがまだ若かった頃とは
社会、経済、政治もぉほとんどのものが変わってきています。
私はその時代を生きてはいないので
映像や活字でしか知り得ませんが
それでも
そぉだったんだ
と感心する事ばかりなので
それだけ違うとゆーことはわかります。
学校を出て
会社に行って
結婚して
子供ができて
昇進して
育てて
子供が同居や近くに住んで
孫の顔を見せてくれる
それが当然だと思っていた、
少なくとも我が家の団塊の世代’Sは。
しかし現実はその想像からは離れてしまった。
長期的希望は生きていく上で
あった方がいいと思います。
でもその通りにならないことは多いと思います。
それが
当たり前だと思い込んでいるから。
母は祖母によく言います。
「アナタは息子と一緒に暮らせて幸せでしょお。私は違うのよ。」
と。
母は、きっと
兄が家に戻り
孫の顔を見せてくれると
思い込んでいたのでしょお。
それを責める気は全くありません。
それを言われると
ただ、不憫でした。
彼女を支えることができても
私は兄ではありませんから。
それに、私だってそぉ思っていました。
山形に戻ってくるなんて全く考えていなかった。
当時のベストを考えたとき
山形に戻ってくることを選んだだけでした。
でも彼女はきっと
兄が戻ってきて幸せにならないことと
兄が戻ってこなくても
幸せに暮らしていること
どちらがいいと選ばせたら
もちろん
後者を選びました。
当たり前でしょお、親だもの、と。
彼女らが描いた想像の未来と現実は
きっと違うのでしょお。
でも
火事や殺人がなくならないよぉに
変わらない感情もあります。
私が20代に入ってから
ずっと荒れていた母は
少しずつですが
安らぎを取り戻しつつあります。
余暇に『したい』ことはまだ探している途中ですけど
見つけ方はなんとなくわかってきたよぉです。
本人は「勇気を出すこと」と言っていましたが。
それより大事な
本質的に『したい』ことが見えてきたよぉです。
人が最後に帰る所に。
顔を引きつらせて
無理やり笑顔で接してきたことが
無駄ではなかったかなと救われています。
とゆーか
救ってもらった、ですね。
近々の目標は
パソコン個人指導です。
彼女が私にスパルタで算数を教えたよぉに
ビシビシいくわよ。
ピシャ。