ここ数年ずっと疑問だったことがありまして
それは自分の理想の大人がなぜ井原正巳になったのか
とゆーこと。
そして井原さんのよぉな
理想の大人にはなれないのだろぉと思った理由でございます。
日産時代から大ファンで
小学校の同じクラスだった子に未だに
「井原好きだったよね?」
と言われるほどで
一番好きなサッカー選手はと尋ねられたら
真っ先に応える名前なわけで。
当時、トレンディドラマ真っ盛りの中
私は彼を理想の大人として崇めていて
それが今でもそぉなのでございます。
大人と言われる年齢になって
違うビジョンも見えてくるわけです。
みうらじゅんみたいな〜
高田純次みたいな〜
桃井かおりみたいな〜
しかしそれは単なる願望でございます。
小さな頃少女達がお嫁さんをモデルに自分の大人像を確立した如く
私は井原さんをロールモデルにしたのでございます。
なぜか?
ファンでした
とゆーのも理想とした理由ですが
諦めたのはなぜか?
理由がアンテナのある方のブログを読んで気付いたわけです。
ぱっと浮かぶ井原さんの姿は
感情を出さず淡々とディフェンスをこなす姿。
人生においてもそつなく
周りからはみ出さず
はみ出すものをコーチングする。
ブログにおいて
その方は
『不感症』についてのお話されていて
あぁそぉか
私は多感な人間だからか
だから井原さんになれないのかと思ったのであります。
小さい頃から
なぜこんなことが怖いのか
なぜ自分はこんなことが気になって
ここまでやるのか
なぜ気になって眠れないのか
なぜ気になるとゆーことが気になるのか
おかしな子だったと思います。
もちろんどっちが悪いとか良いとかではなく
どちらにも相容れない悩みもあると思います。
だから私は
大人になったら
この多感なところが
すーっとなくなって
淡々と生きていけると思っていたのでしょお。
急発進も焦りも我儘も惰性も空想癖もなくなるのだろぉと。
しかし、そぉではなかった。
未だに
急発進し
焦り
我儘ばかり並べ
惰性だらけで
小鳥を空想して幸せになり
おまけに取り越し苦労さえする。
同時に
必要以上に喜びはしゃぎ
ワクワクして眠れず
人に感情移入し泣き
心の底から謝り感謝する。
思えば
大人と言われる年齢になってから
素行について
『中学生だね』
と言われたことが何度かあり
あまりにも意外で
馬鹿言うな、この容姿で
と悪態をついていたわけで。
あぁそぉだったのか、と。
小さい頃はいつも
早く『理想の大人』になりたいと願っていましたが
今は、どぉでしょおか。
なれたらいいなとは思います。
悲しかったり寂しかったりすると
すぐ体調が悪くなる所がなくなるのであれば。
しかし、どぉだろぉ。
なったとして
私はどぉなるのだろぉ。
アイデンティティの話をすれば
全て受け入れなさい
それがアナタよ
とか言うわけで
ただ、そっちの畑の話ではないのです、あくまで。
この話をアイデンティティで片付けるのは
なんだか
自分を認めて欲しいだけの話になってしまうわけで
んなことは
実写でやります。
アリーMyLoveとゆー海外ドラマがありまして
その中で
「幸せな結婚生活なんて夢を見ちゃダメ。現実に幻滅するだけ」
とあって。
いや、厳密にはこんな三流なセリフではなく
大変面白いドラマだったわけで。
理想と現実はいつも対比され
国語便覧でも
対になる熟語として記載されているわけで
私は理想と現実を
不感と多感にして
ただ強弱をつけ
飲み込んでしまっているのでしょおか?
私にとって理想はいつも目に見えて
現実は見えない怖い物で。
だから中学生と言われてしまうのでしょおか。
理想と現実が逆になった時は
はて、どぉしたものかと。