好奇心の行き着く先

ホントにその人を好きになれるかなんて
セックスしないとわからない。
こぉ結論付けた、今日です。
あんなに人間が地を出す行為はないでしょ。
相手のことを本当に知りたかったら
それしかないでしょ。
これは全くの個人的見解なんだろぉけどさ
気になるとか興味があるとかってさ
好奇心の延長線上にあるわけで
気になるの延長線上に好きがあるのだとしたら
好きは相手を知りたいとゆー好奇心と同じ線上にある。
だからセックスして相手をもっと知りたくなる。
それをなんで貞操観念とかで縛るんだろぉ。
守らなければならないものもある。
傷付けてはいけない人もいる。
そぉゆー人がいなのであれば
何を躊躇うことがあるのだろぉ。
いや、別にこっちが求めて断られたわけではないよ、念のため。
ただ、私はある程度の距離になったら
その人に触れたいと思うことは
自然なことだと思うのさ。
それは相手との距離感の相違があるとわかっていても
触れずにはいられないことがある。
人間はいつもその先が見たくて
ここまで馬鹿発展を続けてきたわけでしょ。
なんで『一線』なんて言葉があるんだろぉ。
それを超えたからなんだってゆーんだろぉ。
そんなのは悪いことをしてきた人達が
作った言葉なんだろぉね。
休みも必要。
だけど、その先を見たいとゆー気持ちを
忘れずに怖がらずに生活していきたいものだなぁと
クリスマスイルミネーションを2人で見て思った。